こんにちは。
今週は、山内マリコさんの「あたしたちよくやってる」を読みました。
山内マリコさんの本を読むのはこれで3冊目ですね。
読みやすくて気に入っているようです。
今回の「あたしたちよくやってる」は
というのが、正直な感想。
なんとなくなのだが、「私」のことを「あたし」と書く人が苦手だ。
「フェミっぽい」というのは、ディスっているのではなく、
率直な印象の話。
山内マリコさんが「大好きだ」という
『女の子らしく(#LikeAGirl)』という実験ムービーについて
書かれたエッセイがあり、その動画を見てみました。
「女の子みたいに」という言葉に対して
大人の女の人自身が、自分でも気づかないうちに、
侮辱した感じや、下に見る感じ、媚びた感じを
持ってしまっているという内容。
そして、彼女たちは、そのことに気づき大きなショックを受ける。
3分程度の短い動画なので、興味のある方は見てみてください。
なんだか考えさせられる動画です。
自分らしくあろうとしながらも、
世間の目や、慣習や、
そして、自分自身が知らず知らずに持ってしまっている
女性であることによってもたらされる「呪い」により
自分で自分を縛ってしまう女性たち。
女のくせに、おばさんのくせに、その歳で
などといった世間の目を、気にしたくないのに気にしてしまい
苦しんでいる女性たちがいる。
その一方で、
それらを逆手に取って、女性であることにより
得られるメリットを享受するたくましい女性たちもいる。
女性の地位向上を目指すフェミな女性たちと
地位の向上なんていらないので、楽して生きたい女性たちとの間の
分断もあると思う。
女性が女性らしくあらねばならないという風潮と同じように
男性にも、
とか
とか
などと、男であること(=強くあること?)を強要される風潮もあると思う。
会社でも、どう考えても女性社員の方が優秀だと思われるのに、
男であるというだけで昇進してしまい、女性社員に
と言われていることに気付きつつ
その立場に置かれて消耗している男性社員はいる。
それはそれで辛いだろう。
しかし、そんなことに全く気付かずに平気で過ごしている
お花畑な男も沢山いるのだが。
「フェミニズム」の反対語を調べてみると
「マスキュリズム」という言葉があるようですね。
男性に対する性差別の撤廃を目指す思想や運動だそうです。
確かに、男性に生まれたというだけで、兵役に就かされたり
という風潮はある。
男性に生まれたというだけで、「男らしさ」を求められ、
「男はこうあるべき」という社会通念にがんじがらめに
縛られている男性もいるだろう。
それを苦痛に感じているひともいるだろう。
一方、男性に生まれ、現代社会に蔓延している男性の優位性を
何も感じずに享受しているひともいる。
普段考えないことをいろいろ考えさせられました。
結局はこういうことだと思う。
男であるとか、女であるとかに関係なく、
誰もが自分らしくいられる世の中になればいいですね。
それではみなさま、よい週末をお過ごしください。